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高文研 top 観光コースでないグアム・サイパン【立ち読みコーナー】
著者
大野 俊(おおの・しゅん)
1953年、徳島市生まれ。九州大学理学部卒業。国立フィリピン大学アジアセンタ−で修士号取得。78年に毎日新聞社入社後、大阪社会部、外信部などを経て、90年12月から95年9月までマニラ支局長。この間、東南アジア、オセアニアの15カ国で取材活動にあたる。94年から1年間、フィリピン外国人特派員協会会長。大阪経済部編集委員を経て、2000年9月まで同部副部長。98年4月から10月まで四天王寺国際仏教大学非常勤講師(現代アジア論)。2001年1月からオ−ストラリア国立大学博士課程(東南アジア研究)に在籍。著書に『観光コースでないフィリピン』(高文研)、『ハポン――フィリピン日系人の長い戦後』(第三書館)、『赤い川』(同)、英語論文に「JAPANESE−FILIPINOS IN DAVAO:A PRELIMINARY STUDY OF AN ETHNIC MINORITY(ASIAN CENTER,UNIVERSITY OF THE PHILIPPINES)」がある。
共著では、『動物たちはいま』(日本評論社)、『アジア30億人の爆発』(毎日新聞社)、『アジア衛星スター・ウォーズ』(岩波ブックレット)、『カンボジアの苦悩』(勁草書房)、『フィリピンの事典』(同朋舎)、『ピースボート出航!』(第三書館)、『どのくらい大阪』正・続(いんてる社)などがある。


はじめに
 ミクロネシアは、私が最初に訪れた外国である。
 大学時代、探検部部員だった私は、沖縄の八重山諸島などでダイビングにうつつをぬかしていたが、そのうちにもっと海が美しいと言われるミクロネシアでも海で潜ったり、島民と同じような自給自足に近い暮らしを体験したいとの気持ちが強くなった。大学三年を終えた時点で休学し、アルバイトで貯めた金をもとに、思い憧れる「南国の楽園」に旅立った。一九七五年、グアム、トラック(現在の呼称はチューク)、ポナペ(同ポンペイ)、ヤップ、パラオなどの諸島を一人で転々とし、それぞれの島で住民のお宅に居そうろうをさせてもらいながら彼らと交流した。
 約三カ月の旅を終えた後の私のミクロネシアに対する印象は、旅行前とはすっかり変わったものになった。ポナペ島南方のヌクオロ環礁はじめ、「楽園」と呼ぶにふさわしいエメラルドグリーンの海も見たが、いたるところで太平洋戦争中に使われた日本軍の兵器の残骸を目にし、戦争中の苦しかった思い出話を住民から聞かされた。グアム島以外の島々は、かつて三十年間にわたって日本が統治し、「南洋群島」と呼んでいた地域である。戦前、日本語教育を受けた人々は、当時の出来事を日本語で私に教えてくれた。「日本」と「戦争」の残像があまりに強く、初めての海外という緊張感も手伝って、楽園ムードにひたる余裕はほとんどなかった。
 大学を卒業し、新聞記者になってからも、労働組合が主催した「青年の船」に同乗してサイパン島、テニアン島を船で訪れ、さらにマニラ特派員時代にはグアム島、サイパン島、パラオ諸島、マーシャル諸島で、それぞれが抱える政治、社会問題などを現地取材する機会を得た。学生時代以来、四半世紀におよぶ私のこの地域への強い思い入れが、本書執筆の動機である。

 ミクロネシアは、グアム島と旧南洋群島、つまり現在の北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国だけでなく、赤道に近いナウル共和国やキリバス共和国も含む。東は西経一五〇度付近から、西は東経一三一度付近まで広がる。
 最も大きな島はグアム島だが、それでも淡路島よりはやや小さい。すべての島を合わせた総陸地面積は三千九十九平方キロメートル。「小さな島々」を意味する「ミクロネシア」と呼ばれるゆえんである。総人口は、最も多いグアム島(一九九九年推定で十六万三千五百人余り)を含め約五十二万人にすぎない。
 太平洋の島嶼圏は、ミクロネシアのほか、ハワイ、イースター島、ニュージーランドを結ぶポリネシア(「多数の島々」という意味)、インドネシアとポリネシアの間にあるメラネシア(「黒い島々」の意味)の三地域に区分される。
 まず、ミクロネシアの歴史を振り返っておこう。
 ミクロネシアが世界史に登場するのは、一五二一年のマゼランの渡来に始まる。マゼランの船隊はグアム島などに到達し、その後、この地域はスペインの植民支配下に入る。カトリック教会の宣教師も次々と渡来し、この地域にキリスト教信仰を根づかせた。
 十九世紀になって、ミクロネシアは欧米列強の分捕り合戦の対象になる。一八八五年にマーシャル諸島を保護領にしたドイツは、ヤップ島にも軍艦を送り、パラオ、トラック、ポナペなど全カロリン諸島の領有を宣言した。これに対し、スペインがローマ法王に仲介を申し出た結果、「カロリン諸島はスペインが統治する。ただし、ドイツには諸島内の通商の自由が与えられる」との仲裁が行われた。
 一八九八年に米国とスペインの間に戦争(米西戦争)が起こり、敗れたスペインは同年十二月のパリ講和条約で、グアム島をフィリピンやプエルト・リコとともに、米国に二千万ドルで譲渡した。以来、同島は、太平洋戦争中の二年半余りにわたる日本軍政時代を除き、今日にいたるまで米国領土である。
 一方、ドイツは一八九九年に二千五百万ペスタで、スペインからカロリン諸島と、グアム島を除くマリアナ諸島を買収した。
 一九一四年七月、第一次世界大戦が勃発すると、日本はドイツ領のミクロネシアを無血占領する。第一次大戦は、ドイツ、オーストリアなどの独墺側と、英仏露米などの連合国側の戦いとなったが、英国と同盟関係にあった日本は同年八月、ドイツに宣戦を布告し、ドイツの租借地だった中国・山東半島を攻撃して青島をおとしいれた。さらに同年九月には、ドイツの東洋艦隊を駆逐してドイツ領南洋諸島の北半を占領した。
 大戦がドイツ側の敗北で終わった後、一九一九年に創設された国際連盟の決定で旧ドイツ領は委任統治領とされ、日本は赤道以北の旧ドイツ領ミクロネシアの委任統治国になった。日本は二二年に南洋庁を設けたうえ、各島に支庁を置いて統治した。その後、日本人移民が多数、南洋群島に渡り、サトウキビ栽培を中心とする農業や漁業に従事した。

 一九四一年十二月八日の日本軍のマレー半島コタバル海岸上陸とそれに続くハワイ・真珠湾攻撃で始まる太平洋戦争中、ミクロネシアはほぼ全域が日米の激戦場になった。サイパン島やパラオ諸島のペリリュー島など、日本軍が「玉砕」(「全滅」のことを当時はこう呼んだ)した島も少なくない。四五年八月十五日の日本の降伏後、旧南洋群島は米国を受任国とする国際連合の信託統治領となった。
 その後、ミクロネシアは信託統治終了後の政治的地位を自分たちで選ぶことになる。サイパン島、テニアン島などの北マリアナ諸島は七五年六月に住民投票を実施し、コモンウエルス(内政自治権を持つ米国領土)の道を選択した。その後、憲法を定め、八六年十一月にコモンウエルスに移行した。
 グアム島を含むマリアナ諸島の住民は、比較的色白のチャモロ族が中心である。より色黒で体格の大柄なカロリン人(カナカ族)が支配的な他のミクロネシアとは民族的に異なることも、独自の政治的地位を選択した一因といえるだろう。
 マリアナ諸島を除くミクロネシアは、七八年七月に実施されたミクロネシア憲法をめぐる住民投票で分裂する。パラオ、ヤップ、トラック(チューク)、ポナペ(ポンペイ)、コラスエ、マーシャルの代表はこの年の四月、ハワイで「自由連合盟約」の骨子とも言える「ヒロ協定」に同意し、米政府との間で調印した。
 その骨子は、(1)ミクロネシアは内政と米国の安全保障上の権限と矛盾しない限りの外交を行う権限を持つ、(2)米国は必要な軍事施設を建設し、適宜使用する権利を持ち、ミクロネシアの安全保障と防衛の全権に全責任を持つ、(3)自由連合盟約とミクロネシアの憲法は矛盾してはならない──などである。
 住民投票の結果は、ヤップ、トラック、ポナペ、コスラエの四地区が草案を採択したが、マーシャルとパラオは否決した。このため、草案を採択した四地区が「ミクロネシア連邦」を形成し、八六年十一月に米国との自由連合に移行した。
 一方、マーシャルは七九年五月に独自の憲法を制定し、八二年十二月に米国と自由連合盟約を締結。八六年十月に盟約が発効し、独立国である自由連合に移行した。
 世界最後の国連信託統治領として残ったのがパラオである。パラオは八一年に核の持ち込みなどを禁じる非核条項のある憲法を公布。翌年、米国と自由連合盟約を締結したが、「非核憲法」との矛盾から、住民投票による自由連合盟約の承認は九三年十一月まで持ち越された。パラオは盟約発効で、九四年十月一日に独立した。
 こうしてミクロネシアは、米国の海外領土のグアム、コモンウエルスの北マリアナ諸島、自由連合のミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国の三つの政治的地位が混在する地域になった。
 私はこのうち、日本とつながりの深いグアム、サイパン、テニアンの各島とマーシャル、パラオの諸島を歩いた。本書では、観光ガイドブックがほとんど伝えない島の歴史や現在これらの島が抱える問題を中心にレポートする。

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