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このページは、ロボット型検索済みエンジン『グアムサーチ』によって、2007/01/13 9:32:01に保存されたhttp://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/guam/guam.htmlのキャッシュデータです。 『グアムサーチ』は、この説明文より以下のコンテンツとは関連ありません。 |
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グアム島 GUAM
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▲タモン湾 |
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グアム島攻略 その後約2年半は平穏であったが、連合軍の反攻に伴い、マリアナ方面絶対国防圏の要として部隊の増強、施設の増設・整備が進められた。 |
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サイパンを完全占領した米軍は昭和19年7月21日グアム島攻略作戦を開始した。グアム島には第二十九師団(高品中将)と独立混成第四十九旅団を主力として2万810名が配置に着いていた。 第31軍司令官小畑中将は米軍のサイパン上陸のため、6月21日グアム島に到着したままサイパンに帰還できず、グアムでパラオ方面の作戦指揮をとることになった。 米軍は600隻の艦船、2000機の航空機、30万の兵力をグアムに集中、その内5万5千名を上陸部隊にあてた。 守備隊の基本的な作戦はサイパン同様水際作戦である。しかし、サイパンでこれに懲りていた米軍は、囮部隊を発進させ、日本軍守備隊の火点を探り、空爆と艦砲射撃を陣地に集中させ主要な重火器は殆ど上陸前に破壊した。 |
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▲短20センチ砲 ガン・ビーチ |
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十年式12センチ高角砲 ヒルトンホテル |
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米軍が上陸に先立ち、猛爆撃を行った時、陸軍野戦高射砲大隊と海軍高角砲隊が保有弾5000発で敵機300以上を撃墜した。驚異的な射撃技術であった。 |
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十年式12センチ高角砲 フジタビーチホテル |
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十年式12センチ高角砲 ブラック建設 |
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短20センチ砲 オンワードビーチリゾート |
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国立太平洋戦争歴史公園・博物館 |
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1978年、米議会により「第二次世界大戦での太平洋の作戦に参加した者の勇気と犠牲を讚え、またグアム島の素晴らしい自然環境や歴史的価値を現在及び将来に亘り保存維持していくことを目的に」設立された。ガン岬、ビティの砲台など7ヶ所の戦跡が指定されている。 |
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米軍のグアム島上陸準備のための砲爆撃はサイパンよりも遥かに激烈であった。上陸までの15日間に延べ7500機の航空機から約7000トンの爆弾を投下し、昭和湾(アガット)、見晴岬(アサン)、明石湾(アガニャ)の防御陣地を粉砕し、3つの飛行場を襲い7月16日には日本軍の航空機はすべて無くなった。連日撃込まれた艦砲射撃による砲弾は2万8千発にものぼり、町は全焼し地形や植生までもが変わった。 W DAY |
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▲九ニ式重機関銃 |
▲一式機動速射砲 |
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▲戦車帽(夏季)
九九式小銃 |
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米軍は明石湾と昭和湾のニ方面から上陸してきた。 明石湾の海岸線では歩兵第十八聯隊が展開。後方の台地には第二十九師団の司令部を置いた。 21日の上陸開始の日にはもう主力どうしの戦闘となり、白兵戦となった。日本軍は多大な犠牲を出しながら抵抗し、明石湾では米軍を海岸に釘付けにした。 昭和湾方面では歩兵第三十八聯隊が米軍を迎え撃ったが、優勢な敵に次々突破され、初日で戦力は半減した。 実に、グアムの決戦は初日に帰趨は決していた。 歩兵第三十八聯隊では21日夜、軍旗を奉焼したのち残存兵力のすべてが夜襲を決行した。米軍は照明弾を打ち上げ艦砲を集中、聯隊は朝までに全滅した。 22日から日本軍は明石湾後方の山岳地帯に兵力を集中させるが、米軍はじりじりと侵攻し日本軍の拠点を潰していった。 2日間で壊滅的な打撃を受け、死守は不可能と判断した守備隊は、一気に反撃をかけ、華々しく散ることを選んだ。 |
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▲アサンビーチ |
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26日からの総反撃に、残った陸海全ての日本軍が参加した。しかし肉弾戦は敵の重火器の前に撃退され、この日第十八聯隊はほぼ全滅した。 |
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. 国立太平洋戦争歴史公園 アサンビーチ |
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この場所には、スペイン領の時ハンセン氏病患者の隔離病院があった。その後、米領になるとフィリピン(米領)の政治犯を収容する刑務所があった。戦後は米海軍のキャンプになり、ベトナム戦争時はベトナム難民の収容施設となった。 |
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国立太平洋戦争歴史公園 |
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アガットは昭和町といった。ガン岬は米軍上陸コースの中心にあり、日本軍も同地区の橋頭堡を築いていた。後方には有羽山(アリファン山)があり歩兵第三十八聯隊の司令部が置かれていた。 ガン岬には大きな丸太防塞が残っているそうだ。 |
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▲グアム島自治政府、米国、日本の旗 |
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▲短20センチ砲
九六式25ミリ機銃 |
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一式機動速射砲・警察署前(アガット) 口径47ミリの対戦車砲。名前の通り機動仕様とされていたが、島嶼戦では多くが固定して使用された。小銃弾から砲員を保護するため厚さ約4ミリの防楯が装備されていて、45度の傾斜角がつけられていた。通常の運用には、射撃指揮をする分隊長以下13名が配備され、内5名は弾薬箱を携行した。 |
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太平洋戦没者慰霊公苑 |
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又木山(ジーゴ)は日本軍の最後の拠点となった所。 |
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▲日本軍の遺留品がいろいろ。 |
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又木山戦闘司令部壕跡。 昭和19年8月29日天上山の本営で第三十一軍軍司令官小畑中将は残存兵力をまとめ、北部山岳地帯での持久戦を意図した。 11日、米軍は又木山に突進、もはやこれまでと小畑軍司令官はじめ首脳が自決、同じころ高原山も陥落、グアム島守備隊の組織的戦闘は終わった。 しかし、それで戦いが終わったわけではなかった。残存日本兵はジャングルや洞窟に潜み、敗戦の日まで1年間もゲリラ戦を展開した。 |
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よくわからない |
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いわゆる脱力系の不可思議な博物館があったそうだ。 |
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一式機動速射砲 |
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九五式軽戦車「ハ号」 |
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▲九四式山砲 |
▲四一式山砲 |
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九六式25ミリ機銃・単装と2連装 |
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H13.6.29追加、自分で散策
50口径三年式14センチ砲 ピティに残る砲台には、海岸線防備のため3基設置された。 |
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▲一番目の砲 |
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▲二番目の砲 |
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三番目の砲 二番目の砲は台風で倒れた木のあおりを受け、横倒しになったそうだ。 |
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H17.7.11追加、写真は川久保氏から |
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航空機と舟艇 |
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![]() . 連休明けの週にグアムへ行って来ました(2006.5)。 9-11以降 厳重に立ち入り制限されてゐた Sumay海軍基地内に ツアーで入れるようになりました。 なを 参考までに アサン海岸にあった博物館 (T.Stell Newman Visitor Centre) は 先年の颱風以降閉鎖されてをります。 詳しくは→帝國海軍への鎭魂頌 . |
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甲標的丙型 アプラ港に配備されていたものらしい。 |
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向こうから |
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H13.3.9 H13.6.29追加 H17.7.11追加 H18.6.28追加 |
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