|
|
このページは、ロボット型検索済みエンジン『グアムサーチ』によって、2007/01/13 9:32:51に保存されたhttp://www.gem.hi-ho.ne.jp/kfc-onishi/htm/guam_islands.htmlのキャッシュデータです。 『グアムサーチ』は、この説明文より以下のコンテンツとは関連ありません。 |
| グァム島 GUAM (アメリカ合衆国) |
■KFCおすすめ情報グアム島についても、数多あるガイドブックに載っているような情報は省略し、KFCならではのちょっとカルトな情報をお知らせします。また、KFC的にイマイチと思える観光スポットは独断と偏見で省略します。 グアム島に限らずどこの島でも、「島と云う所には、永遠や普遍と云う言葉は存在しない。今あるからといって、次回の訪問でも、そのままあるとは限らない。人に対しても、モノに対しても同じことが云える。それが島というものなのである。」と云うことを認識しておくことは非常に大切である。 ■グアム島を知るための基礎知識 グアム島が北マリアナ諸島(ロタ、テニアン、サイパン)と大きく違う点は、2つある。1つ目は、アメリカ領土であるという点である。だから、ビザ(査証)制度もアメリカ本土と同じで非常に厳しい。だから、グアムには北マリアナ諸島のように、賃金の安い外国からの出稼ぎ労働者を受け入れるビザ区分はない。すなわち、単純労働者は入国できない仕組みになっている。よって、人件費が高くなり、その分、物価は北マリアナ諸島と比べると少し高い。 2つ目は、アメリカ軍基地の島であるということである。島の北部には戦略爆撃機B52部隊等が配置されているアンダーソン空軍基地があり、島中央部のアプラ・ハーバーには「ビッグ・ネイビー」と呼ばれ、原子力潜水艦隊を擁する広大なアメリカ海軍基地がある。これらの基地は、ニクソン元大統領によるグアム・ドクトリンでアメリカの防衛ライン最前線として、アメリカ本土以外では最大規模である。対アジア戦略、特に対中国を睨む最大の基地であり、アフガニスタンやイラク戦争の中継基地としての重要な役割を担っている。そして、この島の経済にとっても基地の存在は非常に大きいものがある。観光業に匹敵する規模の財源として、この島の財政を支えているのである。 だから、何をするにも軍の存在を無視することはできない。当然、我々外国人(ツーリスト)は、これらの軍事施設に近づいたり、迷い込んだりしてはいけない。 アメリカの自治領である北マリアナ諸島には米軍基地はない。サイパン島西側のフィリピン海沖にアメリカ軍の軍事物資を満載した移動倉庫代わりの巨大な貨物船が浮かんでいるだけである。人種に関しては、グアム島固有の人種は北マリアナ諸島と同じく褐色肌を持つチャモロ人である。しかし、現在は、アメリカ人、フィリピン人、韓国人、中国人、日本人、パラオ人、ヤップ人などの近隣諸島ミクロネシアの人々等々、多彩な人種が住んでいる。 ■食べる ここグアムではそれなりのお金を出せば、世界中の美味しいものを食べることができる。しかし、KFC的には、それでは面白くない。安くて美味い店でなくては。そんな場所を見つけた時は、すごく得をした気分になって気持ちがよい。 【上海人家】 このレストランは、安い値段で美味い中華料理を食べさせてくれる。屋号から分かるように、上海料理が中心で、料理人やオーナーは中国人である。日本の中華レストランと違って一人前の量が多いので腹いっぱい食べられる。数人で数種類の料理を注文するのが、一度にいろいろな料理を楽しめてベストである。目安としては、エビ料理や肉料理は一品10ドルくらい、スープや青菜(空芯菜;現地語ではカンコンという)炒めやチャーハンなどは5ドル前後とリーズナブルである。高級料理北京ダックも庶民的な値段で食べることができる。![]() いつも地元の人たちの家族連れで賑っている。食事時間帯の夕方6時以降は混み合っているので、できれば、少し時間帯を外して行く方がよい。 場所はタモン湾ホテル街の中央部で、ホリディ・イン・リゾートの近くにある。通りで言えば、パレ・サンビトレス・ロード沿いのビーチ側にある。 【チャモロ・ビレッジ内のランチ専用フード・コート】 アガニャのマリンドライブ沿いにチャモロ・ビレッジという施設がある。その中に約10店舗ほどの地元の人たちに人気の小さなランチ専用のフード・コートがある。ここで食べ物を注文(テイクアウト)して、ブースの前にある広いセンターハウスで食べることができる。ここの料理は地元グアムのチャモロ料理中心。地元の人たちが集っているブースで買うのがコツ、このような店で買うと間違いなく美味い飯にありつける。ランチタイムには、昼ごはんを食べに来ている地元の人たちで賑わっている。価格的には、3チョイスで5ドルという安さである。例えば、ショートリブ(骨付きカルビ肉を縦にカットしたもの)とチキンのBBQ、それに串焼き、ライスとちょっとした野菜が付いて5ドルである。それに、シチューを追加すると1ドルプラスという具合である。但し、ここはランチタイムだけの営業で夜は営業していない。 しかし、毎水曜日の夕方からは、このチャモロ・ビレッジの屋外スペースに食べ物の屋台がたくさん出て、日本の縁日のような催し物(フィエスタナイト)が行われる。食べ物以外にも民芸品や自家製のお菓子やフルーツなどを売る屋台もでる。そして、島中からたくさんの地元の人たちが集まって来る。もちろん、お目当ては美味い食べ物である。あちらこちらから肉を焼く煙が立ち昇り、美味そうな匂いが漂っている。値段は昼間と同じで、ご飯と野菜に3チョイス(肉のBBQなど)で5ドルが相場である。 特に、KFCオススメはビーフのショートリブBBQである。北マリアナ諸島(ロタ、テニアン、サイパン)のものと比べると、大きくて分厚い。本当に美味い!これは3チョイスの一つに選ぶべき一品である。これは本当に美味い! グアムで一番美味いものを挙げろと言われたら、躊躇なくこれを一番に挙げる。 【JANZ'S Grill & Bar/ジャンジィズ】 アガット村の村はずれのアガット・マリーナにある。自慢の料理は新鮮なシーフード料理であるが、それ以外にも、肉料理、ハンバーガー、ホットケーキ等々、アメリカンチックな料理がたくさんある。また、バー・カウンターもあり、お酒だけを楽しむこともできる。 料理に関しては、どれもボリュームがあるから一度に多くを注文しない方がよい。南の島は朝が早いので、早朝からも営業しており、地元の人たちやヨット乗りで賑っている。観光客向きでないところがいい。当然、日本人観光客はほとんどいない。 ここは一大観光地帯のタモン湾界隈にあるレストランと違って、アガット村という人里離れた静かな海の傍にあり、グアム島本来のローカルな雰囲気を残している数少ないレストランである。日本では味わえない雰囲気とロケーションを持ったレストランなので、この雰囲気を味わうだけでも価値がある。屋外で、海とヨットを眺めて食べたい人にはテラス席がオススメ。 【グアム・プレミア・アウトレット内のフード・コート】 ここでは国際色豊かな料理を手軽に食べることができる。アメリカン、韓国、中国、日本、メキシコ、タイ、モンゴル、チャモロ料理など10店舗以上が入っている。それ以外にも、ラーメン店やアイスクリーム店も入っている。ここはショッピングがてらに立ち寄った観光客や地元の人たちで一日中賑っている。中でも、地元の人たちに人気があるのはモンゴリアン・バーベキューである。殆んど全ての料理が5ドル前後で食べることができる。 ■見る&遊ぶ 【島北部】 ■リティディアン・ビーチ このビーチはグアム島最北端にある。現在のグアムでは最も美しいビーチと言える。この辺り一帯は米軍アンダーソン基地の敷地内となっているが、昼間は一般開放されており、地元の人たちや観光客も入ることができる。古くから米軍基地の敷地内であったためか、今でも、全く俗化・観光化されて おらず、グアム本来の美しいビーチの風景を残している。また、このビーチを含む一帯のジャングルは野生動物の保護区に指定されており、ビーチだけでなく、動植物も昔のままに残されている貴重なエリアである。また、星の砂が拾えるビーチとしても有名である。 晴れた日には、沖合いにロタ島を見ることができる。特に、このビーチに入る下り坂の途中からは正面にロタ島の全景を見ることができる。 200mほど沖合いには、一列に並んでさんご礁が海から突き出した部分があり、ビーチからそのさんご礁までは浅いラグーン(礁湖)になっている。ビーチは真っ白いサンゴの砂でできており、ラグーンは水深は浅く、サンゴがたくさんあり、ガンガン泳ぐことはできない。 ラグーン内は、透明度抜群で、熱帯魚がたくさん見られるので、シュノーケリングには最適である。 但し、流れがあるので、要注意。一部に遊泳禁止地域が設けられているので要注意。 週末には付近の地元の人たちが集い、憩いの場となっている。小さな子供達は水際で戯れ、親たちは木陰の涼しい所でそれを見ている。そして、若者は沖のさんご礁の上から魚釣りをしているという長閑な風景がよく見られる。 このエリアに行くには、坂を下った所にゲートがあり、50mほど先に広い駐車場がある。ここに車を停めた場合は、歩いて前面のビーチに出て、そこから左手の方に 歩いて行くと良い。或いは、駐車場まで行かずに、ゲートのスグ左手の地道を入って行ってもよい。地元の人たちはこの道を使っている。ゲートから100mほど行くとビーチに沿った鬱蒼としたジャングル道に入る。この辺りの道端に車を停めてビーチに出るのがよい。 ■デデトの朝市 毎週土日の早朝6時頃から10時頃にかけて行われている。場所はタモン地区からマリンドライブ(1号線)を北上し、ミクロネシア・モールを過ぎて、5分ほど北に行った所の道路沿いで行われているので、初めて行く人でも迷うことはない。 地元の人たちが自分所の畑で採れた野菜やフルーツ、海で獲って来た魚や養殖したエビ、Tシャツを中心とした衣類、色とりどりの生花や鉢植えの植物等々を売っている。また、引越しのために不要なった家具や雑貨などを売りに来ている人もいる。ここを見て回ると、グアム島の人たちの実生活の様子やその時期に採れるフルーツや野菜がどんなものなのかがよく分かって面白い。 また、串焼きBBQを売っているブースもある。しかし、BBQにはウルサイKFCからすると、イマイチのBBQである。と言うのは、味付けは悪くないのだが、焼き方が下手クソで、表面が黒く炭化している部分が多く、喰えた代物ではない。BBQアイランドと呼ばれているロタ島では、こんな代物は即ゴミ箱行きである。美味いBBQの焼き方というものは、炭で時間をかけて、じっくり焼き上げるのが鉄則なのに、ここでは早く焼こうとする余り、火が強すぎて表面が炭化してしまうのである。 値段は1本1ドルが相場だが、観光客レートで2割ほど高く吹っかけてくることがある。試しに買う場合でも1本くらいにしておく方がよい。BBQならチャモロ・ビレッジで食べる方が絶対に美味い。 現在の朝市が催されいる敷地の広さはサッカー・グランドほどで、一昔ほど大きくはない。以前は、この近くの広大なハーモン飛行場の跡地(野原のような荒れた滑走路跡地)で行われていた。広さも店の数も現在の10倍以上ははあった。 ローカル・フードとコーヒーという軽い朝食を食べさてくれるブースやベトナム・スープ(ラーメン)の朝食やフィリピン料理の朝食が取れるブースもあり、雑多な感じがして、どこか東南アジアの小汚いスラム街の市場の様相で面白かった。今は、清潔過ぎて、昔のゴチャゴチャした面影が残っていないのは残念である。 ■イパオビーチ ![]() タモン湾の南西の端にあり、グアムを代表するビーチ。通称「イパオ・ビーチ」で通っているが、正式名は「ガバナー・ジョセフ・フローレンス・ビーチ」と云う。 タモン湾とは、通常、北はニッコー・ホテル北側のガン・ビーチから、南はヒルトン・ホテルがあるイパオ岬までの間の入り江を指す。 このビーチの沖には、海面から一列に並んだサンゴ礁が競り出しており、これが外洋の荒波から内海であるタモン湾内を護っている。そのお陰で、一年を通して、タモン湾内の海は穏やかで、まるで巨大なプールのようになっているのである。さらに、この沖のサンゴ礁は、危険なサメなどの大型魚の侵入も防ぐと云う一石二鳥の役割を果たしている。 水深は深い所でも約2m〜3mとプール並みに浅いが、それでもカラフルな熱帯魚が数多く生息している。このイパオ・ビーチほど手軽に多くの種類の熱帯魚に出会えるビーチは、マリアナ諸島ではここ以外にはない。 また、このイパオビーチの付近は、外洋から新鮮な海水がタモン湾に流入してくるスポットに当たり、タモン湾の中でも、このビーチ付近の海水が最も透明度が高い。 但し、午後になると少し澱んでくることがあるので、海水浴の狙い目は午前中と思った方が良い。 シュノーケルか、ゴーグルを付けて、20〜30mほど沖に出れば、水深2mほどの白い砂の海底に円形のサンゴがポツンポツンとあるのが見えてくる。そして、その周りには、黄色やブルーのありとあらゆる熱帯魚が大小の群れをなしてたくさん泳いでいる。その中には珍しい魚もいる。白砂の上にいる時は、白く、珊瑚の上にいる時は、そのサンゴの色に、と云うように、周りの景色に身体の色を変化させる鮎に似た形をした魚の群れや、40〜50cm位の鯛のような形をした白っぽい色の魚の大群、さらに、光が当たる角度によって体の色が蛍光色のブルーやピンク色、さらに、白色に変化する全長数cm程度の小さな魚も群れをなしている。名前は知らないが、このような魚は、他の島ではあまり見ることはできない。また、動きの遅い漫画チックな可愛いハコフグもいる。サヨリや、それによく似た長い形をしているが体長が50cm位ありそうな魚、また、珊瑚に潜り込んでいるシャコガイなどもいる。 さらに、2005年5月位から体長約50cmのマダラトビエイが一匹この海域に迷い込んで来ている。通常、この魚は深い所に生息する魚なので、このような砂浜の近くに迷い込んで来ることなど滅多にない。これが地元の人たちのちょっとした話題なっている。しかし、このマダラトビエイはいつでも出会える訳ではなく、運が良ければ、見ることができる。その姿はひし形をしており、細い尻尾が付いている。そして、鳥が飛んでいるように、水の中を進んでいく姿は魚とは思えない。さらに、顔も魚のそれではなく、鳥の口ばしのように口が尖がっている。但し、臆病な性格のため、クロールなどで音をたてて近づいて行くと逃げてしまう。 ビーチには無料の脱衣所、休憩所、シャワー、トイレなどの施設がある。しかし、ビーチの傍にあるシャワー以外はほとんど使われていない。また、ライフガードも常設しており、イパオ・ビーチで遊ぶ人たちの安全をビーチに建てられたライフガード・ハウスから監視している。遥か沖に出て行く人に注意を与えたり、隣接したPIC(パシフィック・アイランド・クラブ)のカヤックやウインド・サーフィンが入り込んできた時にも、注意を与えて、イパオ・ビーチ・エリアから出て行くように指導している。彼らのお陰で、過去にも、このビーチでは水難事故はほとんどない。 さらに、海辺ではポリスのパトロールも頻繁にあり、治安の面からも全く問題はない。イパオビーチは、このように多くの点で、グアム島を代表するビーチと言える。 一大観光地であるタモン地区の南端にあるイパオ・ビーチは、ビーチの質(美しさ)やそのロケーションから考えても、グアム島で最も重要な観光資源と考えられる。政府もその点は十分理解している様子で、毎日、政府スタッフが砂浜清掃専用の特殊車両を使って、朝夕2回ゴミ拾いと砂浜の整地が行われている。これだけを見ても、このイパオビーチがグアム・ツーリズムにとって、如何に大切な観光資源であるかが分かるというものである。他のビーチでは、決してこんなことはやらない。 北マリアナ政府もこの点は見習って、サイパン島ガラパン地区のビーチの美化・再生に取り組んで欲しいものである。 また、週末には地元のファミリーで賑い、波打ち際は海水浴をする小さな子供とその親たちでいっぱいになる。このビーチは観光客だけでなく、週末になると、地元の人たちもたくさん集まってくる。そして、隣接するイパオ公園では、至る所でBBQを焼いている風景が目に付く。このように観光客にも地元の人たちにも、無くてはならない人気のビーチなのである。 この島最大のエベントは、何と言っても12月の「クリスマス」、そのクリスマス・ムードの盛り上がる時期(12月)に、このイパオ・ビーチの透明度の高いブルーの海を利用してオーシャン・スイム大会「Dan's Cup」が開催されている。そして、このイベントはKFCトライアスロンクラブがヘルプしている。【イパオ・ビーチの憂鬱】 このビーチも将来に危惧を抱く不安がない訳ではない。2年前(2003年)と比べると透明度は落ちたように思える。さらに、傷ついたサンゴや一部がすでに死んでいるサンゴも目に付くようになってきた。 これらの大きな原因の一つは、地球温暖化による海水温の上昇によるものかもしれない。しかし、人為的な原因もある。 その原因の一つは、干潮で水深が浅くなった時に、地元の子供たちや観光客がサンダルを履いて海に入り、そのサンダルを履いたままでサンゴ礁の上を歩いたり、突っ立ったりしている。その結果、細いサンゴは折れることになる。 さらに、地元の悪ガキどもは、小さめのサンゴを持ち上げて、海中に叩き落して遊んである。これもサンゴが傷つく大きな原因の一つである。 また、最近では、現地観光業者が観光客相手にシュノーケリングを始めており、その時、魚を集める為に使う餌のソーセージ等々の食べ残しが腐り、水質汚染の大きな原因の一つになっていると考えられる。 グアム政府もビーチ管理だけではなく、海中のサンゴ等々の管理もしっかりしなくては、近い将来、サンゴは死に絶えて、透明度もなくなり、観光資源としての価値は損なわれてしまうかもしれない。10年ほど前から始まったリゾートホテル建設ラッシュ、それに伴う人口増加で、タモン湾は水質汚染が徐々に進み、数年前には半透明に濁ってしまっていた。しかし、2002年12月に、幸か不幸か、50年に一度と言われるスーパー台風「現地名:ポンソナ」が直撃し、タモン湾の汚染されていた海水や海底砂や死んだサンゴ等々を全て浚ってしまい、代わりに、外洋あった奇麗なものと入れ替えてしまた。 その結果として、今の透明度が高い、奇麗なタモン湾に蘇ったのである。今の奇麗なタモン湾はスーパー台風の産物と言える。自然の営みというものは、本当にうまくできているものである。それと引き換えに、大部分のホテルは膨大な被害を被り、中には、完全に破壊されてしまい再起不能に陥ったホテルもある。グアムで一番古くからある「グアム第一ホテル」などは、未だに、その台風被害の修復中(2005年現在)でリニューアル・オープンができていない。 (注:その後、全面リニューアルされ、オーナーが変更になり、その名称も「第一ホテル」から「フィエスタ・リゾート・グアム」として、2006年3月頃にグランドオープンした。) ■最大の観光地タモン地区 グアム島を代表するリゾート地タモン、ここには一流観光ホテル、免税店、レストラン、有名ブランドの直営店などが集中しており、この地区だけが異状と思えるほど観光地化されている。未だに、未開のジャングルがたくさん残っているグアム島の中にあって、特別の地域となっている。一大観光地グアムを支えているのはタモン地区であり、同時に、グアム島の経済を支えているのもタモン地区であると言っても過言ではない。このような意味で、タモン地区はグアム島にとって非常に重要な場所、すなわち、「ドル箱」なのである。 そのタモンが街らしくなってきたのは1970年代に入ってからと、比較的新しい。しかし、チャモロ人が集落を置いたのは相当に古い。スペイン人がやって来た時にはすでに集落があり、酋長がその集落を納めていた。このタモン地区を走っている道路の名称「サン・ビトレス」は、この地区の酋長に無断でチャモロの幼い娘にキリスト教の洗礼を施したことから酋長の怒りをかい、殺されたスペイン人神父の名前から取られている。 1970年中頃のタモン地区は、第一ホテル(現在はフィエスタ・リゾート・グアム)などもあったが、一般の民家もたくさんあり、その民家で飼っているニワトリを狙って全長1.5mもある巨大トカゲが出没し、島民を悩ませていたのである。今日のタモンの繁栄からはそんな時代があったとは想像すらできない。現在のグアム島でこの大トカゲを見ることはできない。島の奥深いジャングルの中では未だに生息しているのか、それとも絶滅しているのか・・・・?ただ、島中央部の道路上で、車に轢かれた数十センチメートル程度の死骸を見かけることが時々ある。 ■アンダー・ウォーター・ワールド ショッピングやレストランの多いタモン地区にあって異彩を放っているのが世界最長のトンネル水族館「アンダー・ウォーター・ワールド」である。300万リットルという巨大な水槽の底の部分に全長100mという透明強化ガラスでできたトンネルが造られている。その中を歩きながら、魚と同じ目線で観察できるという優れもの。エイ、海亀、サメ、ハタなどが泳いでいるが、その大きさが半端ではない、すごく大きい。2m級のサメが数種類群れをなして泳ぎ回っている。海亀は人間が乗れるくらいの大きさ。ハタは圧巻で、深海魚シーラカンスのようでゆっくり泳ぎ回っている。体重は250kgもあるらしい。エイも全長1〜2mあり、数種類のエイがいる。大きなマダラトビエイも泳いである。さんご礁の海で手軽に見ることができる魚とは大きく違う。観る価値あり、である。 昼間は水族館として営業、夜間は9:00〜11:30pmまで、チューブの通路にテーブルを設けて、魚を観ながらカクテル等々が楽しめる海底ラウンジとして営業している。場所はDFSギャレリア(デューティフリーショップ)の斜め向かいにある。 【島南部】 ■アガット村 グアム島のダウンタウン(行政の中心地、首都のようなもの)のアガニャからマリンドライブ(国道1号線)を南下して、ビッグ・ネイビー(アプラハーバーの米海軍基地)のゲートを通り過ぎて、5分ほど走った所の小さな橋を渡ったると、海岸沿いの静かな雰囲気の村に入る。ここがアガット村である。この村落が開かれたのは1680年代のスペイン時代と古い。 このアガット村を境にして、グアム島の雰囲気が一変する。アガニャからアガットまでの道路は交流量が多く、周りの風景も喧騒としており、お世辞にも褒めたものではない。しかし、ここからは交通量が一気に少なくなり、道端には、花で飾られた小奇麗な民家やヤシの木やマンゴー・ツリーなどがあり、村の雰囲気が非常に感じが良くなる。この村は別名「マンゴー・ツリーの村」と呼ばれている。そして、ビーチ沿いに小さなホテル「イン・オン・ザ・ベイ」が1軒だけある。静かで、ローカルの雰囲気を味和には良さそうなホテルであるが、繁華街タモン地区から遠く離れているため、ここに泊まる日本人はほとんどいない。 イパオ・ビーチに次ぐ島民達の憩いのビーチであるミニッツ・ビーチは村の南端にある。ここには脱衣所、トイレ、シャワーがある。隣接したビーチ公園にはバーベキュー設備も完備、週末には島民の家族連れで賑わう。この100mほど南に「アガットのスペイン古橋」と呼ばれているサンゴ岩を積み重ねた眼鏡橋がある。有名なアガニャのスペイン橋「サン・アントニオ橋」と比べるとそのもの自体では見劣りするが、実際に小川に架かっているだけに、こちらの方が18世紀の面影が偲ばれて良い。 この村を走っているメイン道路(2号線)から見えるもので、唯一、目を引くのは、この村のメイヤーズ・オフィース(村役場)前の道路に面した場所で、ローカル野菜とフルーツを売っている粗末な小屋である。ここはちょっと覗いて見る価値がある。日本では目にすることができないようなフルーツや野菜を見つけることができる。野菜は無理でも、フルーツは少し買ってみるのも楽しい。 軒下に並べられているフルーツの種類は、サワサップ(外見は棘のあるメロン大の緑色フルーツで、その味はヨーグルトに似て美味い)、ローカル・バナナ(外見は小さくて丸い、酸味と甘味が強く水分が多い)、グァバ(外見はミカン大で、香りは良いが水分が少なく、タネが多く、ザラザラした食感)、パンの実(メロン大で、焼くとサツマイモに似た味がする)、マクワウリ(ナシウリ)、レモン等々。 野菜に関しては、ナス(日本のものの約2倍の大きさ、皮は硬いので剥いて中身を食べる)、ニガウリ、若い漬物用のパパイヤ、青い料理用のバナナ(ココナッツミルクと一緒に炊いて食べる、酸味があり、美味い)、サツマイモ、大根(日本のものより小さくて、水分は少ない)、生姜、カラマンシー(シークァサー・ヒラミレモン)、ココナッツの中身、アボガド、キュウリ、インゲン豆、オクラ、芋の蔓、唐辛子(南洋ものは超激辛)、かぼちゃ等々。 この村の南の外れ(ウマタック村寄り)には、アガット・マリーナというヨット・ハーバーがある。ここに「ジャンジィズ」という観光化されていないローカルチックなレストランがある。オススメ。アガット村は、太平洋戦争の時、日米の激戦地となった村で、日本人は「昭和村」と名づけていた。また、1944年に米軍がここからグアム島上陸を開始したことで知られている。 ■セラ湾展望台 うっそうとしたジャングルが眼下に広がり、古代グアムの姿を彷彿させる。ここは小川から流れ出る淡水によって河口付近のさんご礁の育成が妨げられ、湾の開口部が形成されている。セラ湾に注いでいる2本の小川のうち南のセラ川に架けられている「石橋」と南岸のブッシュの中に残された「パン焼きカマド」はスペイン時代の遺跡である。この展望台からセラ湾まで続くトレッキングコースがある。それなりの服装と装備が必要、所要時間は2時間程度。 背後の山手を見ると、グアム最高峰のラムラム山がある。標高は僅か406m、ここから徒歩で1時間位で登ることができる。国に自慢によると、この山はエベレストより高いと云う。つまり、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵(水深1万863m)から測れば、8848mのエベレストより高いと云う訳である。何のことはない、この手の話はどこにでもある屁理屈である。また、ラムラム山の左手の山には山肌を水が流れた跡がクッキリと残っている山がある。おそらく、雨が降ると滝ができるのであろう。南を見ると、ブルーのココスラグーンに浮かぶココス島をみることができる。 ■セッティ湾展望台 ここは車を停めて、是非立ち寄る価値のある観光スポットである。アガット村からウマタック村へ行く途中の丘の上にある展望台。非常に見晴らしがよく、眼下には、セッティ湾とそれに流れ込む川に沿って生い茂っているヤシ林のコントラストがハッキリと見て取れる。 セッティ湾とその背後に広がる標高300mの丘陵地帯はグアム海岸公園の一部に指定されており、島南部の火山地帯を知る上で重要な役割を果たしている。 セッティ湾の海岸地帯には3000年もの間、古代チャモロ人たちが住んでいたと云われ、実際、ラッテストーンや陶器の欠片も発見されている。また、スペイン時代にはアガニャからセッティ湾を通り、ウマタック村へ南下する海岸線道路が作られていたといわれている。展望台からセッティ湾まで南下するトレッキングコースがある。約3時間掛かる。それなりの服装と装備が必要である。 また、セッティ湾後方の、セッティ川に沿った鬱そうとしたヤシ林は野豚や鹿などの野生動物が今でも生息している手付かずの秘境となっている。さらに、展望台のスグ下からこの川に注ぎこむ滝を見ることもできる。この辺りの山はジャングルと呼べるような樹木は生えておらず、赤土の脆そうな山が多く、谷間の部分に僅かにヤシの木が茂っているだけであることがわかる。この辺りは、今尚、昔からの自然をそのまま残しており、人の手が入っていない場所である。また、遠くにはココス・ラグーンとココス島を臨むことができる。 ■パラ・イ・ラライタ公園 アガット村からウマタック村に入る手前の小高い丘の上(標高約90m)に立つ公園。スペイン風の公園で非常に奇麗に手入れがされており、ちょっと立ち寄ってみる価値はある。 眼下には、ウマタック村やソレダット砦が一望できる。 この公園の由来は、ベトナム戦争に従軍し、戦死したグアム出身の兵士を慰霊するためにグアムの婦人クラブが1971年に造った公園で、この公園の名「パラ・イ・ラライタ」というのは、チャモロ語で「我が子孫へ」と云う意味である。■ウマタック村 パラ・イ・ラライタ公園から坂道を下って海岸線に出た所に、U字形をしたウマタック湾に面して、小さな美しい村がある。ここがウマタック村である。人口900人の小さなコミュニティ。小さいがその歴史は古い。 今では何の変哲もない静かな村だが、グアムの歴史上では重要な所である。1951年に探検家マゼランが初めてこの島に上陸した地であり、スペインが最初に首都を置いたところ。グアム屈指の歴史を持つ由緒ある村だが、湾と山に挟まれ、面積が狭く、島の中心地アガニャから遠く離れているため、第二次大戦後の島をあげての復興期にも大きな変化を受けず、戦前のたたずまいを最も残している村である。また、1902年のグアム大地震でスペイン時代の古都の面影を持つ建物は殆どが崩壊してしまった。 ウマタックにスペイン人の村落ができたのは1668年と云われている。その後、地形的に防備しやすい理由から、ウマタックに総督府が置かれ、1680年頃に都としての体裁が徐々に整い、その後、首都としての機能を果たすようになった。そして、この時期にサン・ディオニシン教会も建立されている。また、1680年頃から1733年頃まではフィリピンとメキシコを結ぶ貿易の中継地としてガレオン船が寄港していた。グアム島はフィリピンとメキシコを結ぶ太平洋上の直線上にあり、補給基地として最適な位置にある。だから、ここで新鮮な食料や飲料水を積み込んだり、船員の休養地の役割を果たしていた。 その後、ウマタックでは面積が狭く、施政上不便が生じ始めたため、首都を島中心部のアガニャに移した。しかし、ウマタックは首都がアガニャに移った後も、ガレオン船の補給基地としての役割を果たしていた。しかし、1821年にメキシコがスペインから独立したのを機にガレオン船貿易は廃止された。その後は、急激にさびれていった。そして、大型船の寄港地はアプラ湾に取って代わられた。 ウマタック湾のビーチは他のサンゴ砂の白色ビーチとは違い黒色をしている。その理由は、グアムでは珍しい黒い小石のビーチなのである。この小石の中には黒光りするものがあり、現地ではそれを「エリエリ」と呼び大切にしている。遠浅のビーチで普段は波のない静かな湾であるが、海が荒れた時は大きな波が外洋から湾内に向かって打ち寄せてくる。その時は、ウインドサーフィンをするためにグァム中から地元サーファーが集まって来る。ここはローカルたちのウインドサーフィンのメッカなのである。 この村には観光的には「これは」と言ったものはない。しかし、この村自体がグアムの歴史的遺産なのである。この湾に流れ込むウマタック川にはスペイン統治時代を偲んで建てられたアーチ橋がある。それと、村の真ん中にある白い壁のサン・ディオニシオ教会と黒い小石のビーチ、そして、ビーチの傍に生えている巨大な樹、小さなスーパーマーケットが1軒あるくらいである。だから、普通の観光客はこの村を殆んど素通りしてしまう。しかし、暫し車を停めて散策し見るのもよい。 【マゼラン初上陸の真実】 グアム島を最初に発見した西洋人はポルトガル産まれで、スペインの探検家フェルデナンド・マゼランであるマゼランはスペイン国王カルロス一世のサポートを受けて、1519年に世界一周の航海に出発した。この航海でマゼランは偶然にグアム島を発見したのである。 現存している当時の航海日誌によると、今に伝えられているような素朴な島民のもてなしや船員との交歓もなかったようである。その日誌によると、マゼランは飢餓と病気に悩まされながら航海するうちに偶然にグアム島を発見したのである。そして、投錨するために入り込んだ入り江がウマタック湾だったのである。 その湾内で、帆を降ろしたたりして下船の準備をしている間に島民達が船に忍び込んできて、手当たり次第に船内のものを盗んで行ってしまったのである。これに激怒したマゼランは武装兵を連れて上陸し、7人の島民を射殺し、ヤシの実、バナナ、タロイモ、魚、ニワトリ等々を手に入れ、50軒ほどあった民家を全て焼き払い帰還したのである。その時は、大部分の島民達はこのウマタック村から逃げてしまったと記されている。 だから、今、ウマタック川沿いの海岸に建っている「マゼラン記念碑」は当時の島民たちが建てたものが残っているではなく、ずっと後の1926年に建てられたものである。 現在もグアム島のことを別名「泥棒の島」(グアムの島民が自らがそう教えてくれた。)と云うのは、このマゼランの船からモノを盗んだことに由来しているのだろうか。 この村を走るメイン道路沿いに「MAGELLAN'S LANDING(マゼラン上陸地点)」という屋号のスーパーマーケットがある。その同じ敷地内にローカル色の強いハンバーガー・スタンドがある。そして、ここのオーナーが日本人の血が1/4混ざった「ヨシダ」という名前を持つ親日派のおじさんである。聞くところに、このおじさんのお母さんが日本人と現地人チャモロとのハーフということである。食べ物は軽食しかないが、安いし、すぐ目の前は美しいウマタック湾が広がり、背後には小高い丘のソレダット砦がある。軒先のテラスでのんびりするのもよい。 日本人が行くとたいへん喜んでくれる。ぜひ、立ち寄ってみることを勧める。タモン地区では味わえないローカルチックなひと時が過ごせること請け合い。我々KFCは、このおじさんのことを「マゼラン・ヨシダ」を呼んでいる。 ■ソレダット砦 ウマタック湾とウマタック村を見下ろす高台(海抜44m)にソレダット砦がある。1790年後半になると、海賊船が横行し、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶスペインの貿易船ガレオン船が、その中継地点のグアム島周辺での襲われる事件が多発した。それに業を煮やした当時のスペイン総督が1803年い大砲を岬の上に据えた。 これがソレダット砦の始まりで、防塁や衛兵詰所、弾薬貯蔵庫も造られて堅固な要塞になった。そして、ウマタック湾に近づく海賊船に睨みをきかせた。 しかし、1821年にメキシコがスペインから独立すると、それ以後、この砦は用をなさなくなった。因みに、この当時の貿易品は、マニラからは中国の陶磁器などの東洋の品物、アカプルコからはメキシコ銅やペルー銀貨、カカオ豆等々であった。 今も当時の面影を残す刻印付きの大砲や石造りの見張り小屋ガードハウス、弾薬庫跡が残っている。しかし、大砲等々は、近年の修復・復元に伴い、メキシコで作られたレプリカが砲台に設置されている。ここからはウマタック湾が一望できる。また、晴れた日には、沖合いにイルカの群れを見ることができる。 ■メリッソ村 ![]() このメリッソ村はグアム島で最も美しい村である。KFC一押しの観光スポットである。 この村はグアム島南西端に位置し、スペイン風の民家が熱帯の花々に覆われて、古い伝統文化が残り、グアム島で最も美しい、ローカル色豊かな村である。人口は約2000人。 タモン地区の一大観光地も悪くはないが、グアム島本来の雰囲気を味わいたいのであれば、このメリッソ村を散策するか、ゆっくりドライブすることをオススメする。 メリッソ村には、地元のスーパーマーケット以外に、観光客がショッピングするような場所や「これは」と云った観光スポットがないので、どんな観光ガイドブックにもメリッソ村の詳細な記述はない。しかし、この美しいローカル色豊かな村自体が素晴らしい観光スポットであり、また、グアム島にとっても貴重な観光資源でなのある。 メリッソ村はビレ川、ピグア川、ゲウス川、マネル川いった4つの下流域、河口地帯に開けた村で、内陸部には標高1000フィート(337m)のササラグアン山やシュローダー山(322m)がそびえている。そして、メイン道路のルート4号線はそれらの山と海に挟まれた狭い沿岸地帯の平野を走っている。また、コバルト・ブルーに輝くココス・ラグーンに面している村としても有名である。そして、古代から魚が豊富に獲れる魚場として大切にされてきたココスラグーンである。また、このラグーンにはマモン水道とマネル水道という2つのチャンネルがあり、小さな船やヨットの出入りは可能である。古代の人々はここからカヌーで出入りしていたという。また、ココスラグーンは光線の具合で、一日に7色の変化を見せる海としても有名である。 かつては、高級役人や実業家の避暑地、休養地としてにぎわったと記録されているが、マリンスポーツのスポットがタモンやアガニャ周辺に移り、また、家庭でのクーラーの一般化から、現在では、ココス島への船着場として知られている。だから、日本からの観光客が訪れ始めた初期の頃、1970年以前は、タモン地区の宿泊施設が整備されておらず、日本からの観光客はメリッソ村にあるローカルチックな宿泊施設のロッジやモーテルに滞在していた。現在では、メリッソ村に宿泊施設はない。 メリッソ村桟橋から3km沖合いに、観光スポットのココス島(面積3.3平方km、周囲4.4km)が浮かんでいる。この島へはメリッソ村の桟橋からボートで簡単に行くことができる。島には「ココス・アイランド・リゾート」があり、ウィンド・サーフィンやジェットスキーなど様々なスポーツ施設が揃っている。リゾート開発される以前のココス島は、USネイビー(米国海軍)とコースト・ガード(沿岸警備隊)基地であった。 スペイン時代の面影が残されている代表的な文化遺産は、村の中心に約1500年前に立てられた「コンベント(僧院)」がある。そして、この僧院の傍には1919年に建造された「ベルタワー(鐘楼)」がある。さらに、「ベルタワー」に隣接して「聖母マリア・カマリン・パーク」という小さな公園がある。台風や地震の多いグアムでこれらスペイン統治時代の文化遺産を維持していくのは容易なことではない。 約60年前の日本統治時代はメリッソは松山、ココス島は長島という日本名が付けられていた。そして、村の平野部では稲作が行われていた。1943年に建てられた精米所の跡が廃墟として残っている。現在では、当時水田にしていた湿地帯にはマングローブがたくさん生えており、マングローブカニの生息地となっている。 また、メリッソ村には海沿いばかりではなく、背後の丘の上には山手地区もあり、民家だけでなく学校もある。山手地区からの眺めは抜群で、濃いブルーの海と遥か遠くの水平線、手前にはコバルトブルーのココス・ラグーン、それに緑の樹木が茂ったココス島も一望できる。風光明媚な場所である。ここへ行くには、「聖母マリア・カマリン・パーク」から山手へ向かって延びている坂道から行くことができる。 【メリッソ桟橋公園】 メリッソ桟橋公園には桟橋は2箇所ある。一つは昔からある公共の桟橋で、主にフィッシング・ボート用に使われている。また、ここは村人達の憩いの場で、釣りをしたり、水浴びをしたりして生活に溶け込んでいる。その桟橋の駐車場に隣接して、広い四角い公園がある。その中には、数棟のパビリオンや大勢が入れる大きな建物がある。メリッソ村のフィエスタはこの広場で行われている。また、この公園にはシンボル的存在の大きな樹があり、村人たちや訪れる人に木陰を作っている。 もう一つの桟橋は、ココスの渡る船専用のもので、村人たちはほとんど近寄らない。 毎年5月末の日曜日に「ココス・クロッシング」という遠泳大会が行われる。これはグアム島を代表するスポーツ・イベントでココス島からメリッソ桟橋までの約3kmを泳ぐと言うレースで、日本からの参加者も多い。 また、2006年から毎年3月に「イスラ・インターナショナル・トライアスロン」大会も開催されている。 【ベルタワー】[Bell Tower] このベルタワーは1919年に建設された。スペイン統治時代のキリスト教カプチン会のクリストバル・デ・カナルス神父の指揮の下、石とセメントで造られたベルタワーは当時の村の中心部だった。沖に船が見えると、それを村人に知らせるために鐘を鳴らすためのものだった。それ以外にも、ベルは村の集会や宗教行事、ミサの始まりなどを知らせる合図としてならされていた。しかし、現在は使われることなく、ベルタワーの姿だけが残っている。 この神父は、宣教に努める傍ら、農業の振興にも尽力し、その努力の結晶ともいえるクリストバル・トマトは現在も栽培されている。 正面には、青い海に沖に浮かぶ緑色のココス島が見える。 【聖母マリア・カマリン公園】[Santa Maria Kamalin Park] 真っ赤なレンガと白い柱、生き生きとした緑や花が目立つ鮮やかな公園が聖母マリア・カマリン公園だ。公園の中央には大きな冠を被り、長い髪をした白いマリア像が建っている。この公園は、カニの背に乗った聖母マリア・カマリン像がメリッソの海で漁師に発見された、という伝説に由来して造られたものである。現在、この像はアガニア大聖堂バシリカに祭られ、「レディ・カマリン」という愛称で島民たちに親しまれている。 重さ120kgもある像がカニの背中に乗っていたとは、全く不思議な話だが、数々の天災や戦火を免れてきたレディ・カマリンは、グアムを護る守護聖人として崇められている。 12月8日は「レディ・オブ・カマリン・デー」と呼ばれるグアム独自の祝日で、この日は、ガニア大聖堂で盛大な宗教行事が行われる。 【エル・コンベント】[El Kombento] スペイン統治時代の1856年に建てられた。スペイン・ボデガ様式の建築物でマンポステリア構造の石造りモルタル風2階建ての建物。1階が倉庫、2階がカトリック教の神父の部屋とキッチン。1980年まで教区の司祭たちの住居として使われていた。150年以上前に建てられたグアム最古の僧院がこのコンベントで、当時はメリッソ村と隣村ウマタック村のカトリック教司祭たちの家として使われていた。近年、建物は大改修されているが、内部には建設当時のものと思われる木の梁が残されている。 メリッソ村では一際目を引く。大きさにおいても、そのデザインにおいても。 ■メリッソ村で食べる 【C&J Hamburgers】 メリッソ桟橋(ココス島へ渡る船が出る方の桟橋、メリッソ桟橋は2つある)の近くに地元のおばちゃんがやっているハンバーガー・ショップ「C&Jハンバーガーズ」がある。この村を貫いて走るメイン道路に面したオープン・テラスにテーブルが3つほど置いてある程度の小さなショップ(スタンドと言った方が良いかも)である。 そこからは道路を隔てて、緑の樹木の隙間を通して青いココス・ラグーンの海が見える。晴れていれば、少し暑いが、風さえあれば気持ちのよい場所である。おやつ代わりに食べにきている地元の人たちも多い。そのハンバーガーの味は、画一化されたマクドナルドとは全然違って、ここのおばちゃんの味という感じで、昼飯としては上等である。種類は10種類くらいあり、値段は3ドル前後である。 【Ryoma】 ウマタック方面からドライブして、メリッソ村に入った辺りに「Ryoma」という看板を掲げた店がある。ここは日本で言うコンビニのようなもので、お菓子、アイスクリーム、ホットドッグ、弁当などを売っている。 特に、ここの主が作ったと思える弁当類はオススメである。チャーハン弁当やローカルフードらしき弁当も丁寧に料理してあり、美味しい。 値段はどれも3ドル前後と安い。また、ここの主のおじさんは現地在住の日本人である。だから、坂本竜馬から取ったと思える「Ryoma」という屋号も納得できる。 そういえば、ここの主は髪を後ろに束ねて結わき、どこか坂本竜馬に風貌が似ているような・・・。 注)残念だが、2006年3月頃にクローズされた。 【Restaurant】 ハンバーガー・ショップの道路を隔てたはす向いのメリッソ桟橋に隣接した所にレストラン(屋号は・・・?)がある。メリッソではレストランと呼べる代物はこの一軒しかない。道路に面した入り口を入っていくと、建物裏手のココスラグーンに面した場所に屋根つきテラスがあり、そこにテーブルが並べられている。 ![]() ココス島や海を眺めながら食事ができるという南の島らしいレストランである。 ランチの時間帯はバイキング方式で営業している。経営者は韓国人のようで、メニューには韓国料理が多く見られる。値段はそれなり。 【青いフルーツ・ブース】 KFC一押しのスポット。メリッソ村のはずれ(イナラハンに近い方)に自宅の畑やファームで取れたフルーツを売っているブルーに塗られた可愛い小屋がある。この小屋の後ろにあるのがオーナーの自宅である。常時小屋には人はいないが、車を停めて、お客さんが近づいて行くと、自宅の方からおばさんが小走りに出てくる。 こういう所は年中同じフルーツがあるのではなく、その季節季節の旬の美味いフルーツが並べられているのがいい。小さい小屋だが、たくさんの種類のフルーツが並べられている。 例えば、バイナップル、サトーリンゴ、パパイヤ、サトウキビ、サワサップ、パンの実、バナナ、カラマンシー(シークァサー)、マンゴー、スターアップル等など、珍しいところでは、マカダミアナッツやフルーツバットの実などもある。なぜか、かぼちゃも。それに、ココナッツミルクで作った手作りお菓子やパパイヤやマンゴーのピクルスなども並べてある。いろいろあって、おしゃべりしながら買うのも楽しい。 値段は、メチャクチャ安い。例えば、完熟のいい匂いのしているパイナップルが1個1ドルなのである。おそらく、ここはグアムで一番安いフルーツ屋であろう。 また、運良くマンゴーの季節(5月頃)にここを訪れたら、絶対に完熟マンゴーを買うことを勧める。ここのマンゴーはマリアナ諸島(グアム島+北マリアナ諸島)で一番美味いからである。なぜなら、マンゴーは南方で採れるものほど美味いと言われているからである。それぞれの島で食べて見るたら、その言葉が正しいことが分かった。因みに、ここのオーナーのおばちゃんは名前を「タツエ」と言い、現地の人と結婚している日本人。だから、日本語は当然OKである。40年以上もここに住んでいるという。 我々日本人には、マカダミア・ナッツと言えば、チョコレートに入っているものしか知らない。しかし、ここグアムでは、それを天日干しにして、そのまま食べるのである。水分が多少残っているので、サクサクとした歯ざわりはないが、口に入れて噛んでいるとマカダミア・ナッツ本来の素朴な、身体に良さそうな味がして、病み付きになる。口が寂しくなるとついつい幾らでも口に入れてしまう。「試す価値あり」である。 【メリッソ桟橋公園の屋台】 この店は常設の店舗がある訳でない。近所のおばちゃんがピックアップ・トラックの後ろにリヤカーのようなものを引っ張って毎朝やって来る。そして、そのリヤカーがハンバーガーやピクルスを売る屋台になるのである。その屋台の傍に簡単なテントとテーブルを置いて、セット・アップ完了である。ハンバーガーは普通のソーセージをパンに挟んでケチャップで食べる。味はそれなり。値段は1〜2ドルと安い。 ピクルスは、その時々に応じてモノが違う。3月頃はヤング・マンゴーのピクルスを売っている。また、ヤング・パパイヤのピクルスはほとんど一年間を通して売っている。どちらのピクルスもマリアナ諸島では一般的な家庭の食べ物で観光客が行くようなレストランにはない。試してみる価値はある。1ドルも出せば、オヤツに食べるには十分の量がある。また、コーラやビールなどの飲み物も売っている。 因みに、ヤング・マンゴーのピクルスは、熟れる前の未だ青い卵くらいの大きさのモノを、種をとり、4つくらいにカットして、酢漬けにしたものである。コリコリした歯ざわりで美味い。ヤング・パパイヤのピクルスは、同じく熟れる前の青い硬い実を皮を剥いて、幅3mmくらいにスライスして酢漬けにしたものである。粉末ジュースの粉を加えて、黄色やオレンジに染めていることが多い。これはマンゴーより歯ざわりがある。両方とも地元の人たちの食生活に欠かせないものである。【フルーツ・スタンド】 タツエおばさんの「青いフルーツ・ブース」より少しイナラハン寄りにある。この手作りのフルーツ・スタンドはこの写真のオジサンがオーナーである。ここも自分のファームで採れたフルーツを売っている。ローカル・バナナ、パパイヤ、ヤシの実等々である。バナナは一房(15本位)で4ドル、ヤシの実はその場で割ってくれ、ジュースを飲むことができる。そして、飲み終わると二つにカットして、白いプリプリしたゼリー状の実を食べさせてくれる。これで5ドルである。値段は定価がある訳ではないから、その時の気分次第のような気がする。交渉すれば、安くなる。 定番のヤング・マンゴーやヤング・パパイヤのピクルスも売っている。これらのピクルスは、その家々によって、味付けや作り方が微妙に異なり、美味い不味いがある。また、ここには珍しく卵のピクルスも売っている。卵のピクルスとは、卵をハード・ボイルドに茹で上げて、それを酢漬けにしたものである。その味は、酢の味がする茹で卵と云った感じで、想像通りの味である。客が来ると、オジサン以外にも、奥にある家から子供達やおばあさんや犬たちがぞろぞろ出てくる。そして、フルーツスタンドの後ろにあるバーベキュー・テーブル(イスとテーブルが一緒になったもの、マリアナ諸島ではどこにでもある。)に座り、買ったものを食べていると、近づいて来て、自然と世間話?やフルーツの話や村の話が始まるのである。 ■イナラハン天然プール グアム島南東端にあるイナラハン村の南端にサンゴで囲まれた天然プールがある。ここは外洋の海と繋がっており、水は海水である。流れはないが魚はいる。飛び込み台もあり、週末には近所の子供たちの遊び場になっている。透明度は良くないので、ここでは泳がない方がよい。 また、どこのガイドブックにも載っていないが、この辺りの複雑に入り組んだサンゴの隙間には、昔からウミヘビの格好の住みかになっているので注意、通常、ウミヘビが人に噛み付くことはないが気持ちのいいものではない。 ![]() 向かいには地元スーパーマーケットがあるので、覗いてみるのも楽しい。 また、この天然プールの少し南には熊が立ち上がっているように見える「ベア・ロック」がある。 ■タロフォフォ湾 イナラハン村から北へ10分ほど車で走った所にちょっとした入り江が出てくる。ここがタロフォフォ湾で幅は約100m、奥行きは約300mあり、グアムでは珍しく沖にサンゴ礁がないので、外洋の波が直接入り江の奥まで入ってくる湾である。また、メイン道路(4号線)沿いの高台の上からこのタロフォフォ湾を一望できる展望台がある。 ここからの眺めは非常に良い。車を停めて、眺めてみる価値はある。また、この展望台のスグ下に小奇麗な民家もある。 ■知られざるグアム・ツーリズム発祥の地「アタミズ・アパートメント」 タムニン地区ホスピタルロード沿いに決して奇麗とは言えない古びたアパートがる。しかし、この古びたアパートが今日の輝かしいグアム・ツーリズム(観光業)の発祥の地であると言っても過言ではないのである。このことは殆んど知られていないが・・・。 日本において、海外旅行が自由化されたのは今から約40年前の1964年のことである。今となっては、想像すらできないが、それ以前は、観光目的で海外に行くことはできなったのである。 そして、その数年後、1970年に日本資本による「グアム第一ホテル」がタモン地区にオープンして、本格的に日本人観光客がこの島を訪れ始めたのである。 このホテルができる以前は、ツーリズム(観光業)という概念はグアムの人たちにはなく、今で言うホテルと呼ばれるものもなく、宿泊施設と言えば、民宿程度のモーテルやロッジと言った粗末なものが数件あるだけだった。日本からのアクセスと言えば、パン・アメリカン航空(1991年倒産)のDC9規模の中型機材が週に2〜3便運航している程度だった。 そんな状況で、まだまだ多くの日本人がやってくるポピュラーな観光地には成長していなかった。 その後、日系資本の「グアム第一ホテル」ができたことによって、徐々に、日本からの観光客がグアム島を訪れ始めたのである。 しかし、現在では一般的になっているが、その頃には現地グアム島の観光スポットに観光客を案内して連れて行く会社(島内観光業)はなかった。すなわち、現地には観光業自体が存在していなかったのである。 そこに目をつけ、それをこの島で最初にやったのがこのアパートのオーナーである「アタミ(フルネームは忘れた)」という人だった。アタミさんは、戦前の日本統治時代のパラオで育ったパラオ人で、戦後にグアムに移住して来たのである。 パラオは日本統治時代に南洋庁が置かれていたくらいで、日本人が多く住み、日本語教育を始め、日本式生活様式が導入されてた。 そんな事情で、アタミさんは日本語も流暢で、日本式の礼儀作法や日本人気質もよく心得ており、日本人観光客を世話することに何の不便の感じなかったのである。 加えて、商才もあったのだろう。昔から、この界隈では「ミクロネシアの島々の中では、パラオ人が最も商才に長けている」と言われているくらいだから。 そして、グアムを訪れる日本人たちを勝手知ったる島内観光に連れて行き、その一日の仕上げとして、夕食会をこのアパートの屋上で催したのである。日本人観光客から特に喜ばれたのがこの夕食会であった。大きなテーブルを用意し、その上にテーブルクロス代わりに大きなバナナの皮を敷き、バーベキュー、タピオカ、レッドライス、時には、超豪華な子豚の丸焼きなどの地元料理。それに、故郷パラオでは一般的な食べ物になっていた揚げパン、巻き寿司、さらに、日本人には珍しいローカル・フルーツなどをいっぱい並べて、音楽やダンスで持て成したと言う。 しかし、今は屋根のヒサシ部分は無くなってしまっている。僅かに、骨組みのパイプ部分が残っているだけである。 そして、このアタミさんの観光業が大成功し、他の人たちもアタミさんを真似て日本人観光客の世話をする島内観光業(オプショナル・ツアー)を始めたのである。これらの経緯についてはほとんど知られていないが、アタミさんとこの古びたアパート、これが現在のグアム観光業の偉大な第一歩なのである。 その後、日本やハワイから巨大観光資本が参入してきたのである。 その頃には、アタミさんも年を取り、一財産できたので、観光業を廃業し、米国に移住してしまった。その後、このアパートは元奥(パラオ人のラティさん)さんが管理していた。当時はこのアパートの裏手にラティさんの住居と畑があったのである。しかし、今は空き地になってしまっている。 今となっては、何の変哲も無い古びたアパートだが、グアム観光の歴史を語る上では外せない建物であり、貴重な観光資源として、いつまでも保護して欲しいのである。 「その後」 このアタミさんのグアムでの成功を知って、その後、故郷パラオからたくさんのファミリーがアタミさんを頼って移住してきた。その内の一人にテツオ(パラオ人)という名前の商才のある男がいた。その後、テツオはグアムよりも遥かに未開の島だったサイパンに移り住んだ。おそらく、テツオにとってはサイパンの方が与しやすいと考えたのであろう。その頃のサイパンは、今とは違って、ホテルもアパートのような粗末なものが2〜3軒建っているだけだった。テツオのその後はこちら |